NIKKI

今朝の個人的な書き置き。

2020.07.20

 

具体的なことは何も書けないけれど、文字を並べて日記に残しておきたいと思う個人的なことを書きます。

ちょうど新型コロナが日本にやってきて世の中大変なことになっていく、それと時期をまったく同じくして、冬から春にかけて、ひどくつらいことがいくつか立て続けに起こりました。

それは、ひと晩寝れば直る、リフレッシュすれば切り替えられる、という程度のことではなく、(人の命が脅かされるような緊迫した出来事ではないけれど、)これからの人生に強く影響するようなこと、生きるための物事の見方やこれまでの積み上げてきた生活、信じていたものが根底から揺らぐようなことでした。

心と身体はいつも影響し合います。それらの出来事があってから、春先は体調がすぐれず、半日臥せるようなことも多くて、「これ、もしかしてコロナに感染したんじゃないか?」と思い詰めるくらい精神的にも参ってしまい、「とにかく今は目の前の仕事をひとつひとつこなして、きちんと終わらせていくだけ」という感じで、朝早くから夜遅くまで働いて、小さなストレスを溜めることで大きなストレスを紛らわす、そんな毎日でした。たとえ目の前に問題があっても、目をつむってそれを見なければそこに問題はない。そう思って日々を過ごしていました。

ただ、春を過ぎた頃に、それまで自分にとっての小さな支えになっていたものが一本、ぽきりと折れてしまいました。折れた、というよりも、自分で折ってしまいました。きっかけは些細なことなのです。「え?何でそんなことするの?」と理解に苦しむような出来事がひとつあっただけ。でもそのとき、理解できないことを理解し許容するだけの余裕がなかった。腹立ち紛れに、腹いせのように、自分で折ってしまったのです。

そこからは、水の底を這うような日々でした。もがけばもがくほど、あがこうとすればするほど、砂を巻き上げて目の前が何も見えなくなる。手を伸ばしてようやくつかんだものが、握った瞬間、崩れて水の中に溶けて消える。一昨日の午後の、若い俳優の死のニュースに感じたのは、昨日書いたとおりの虚しさと苛立ちと、それから、安堵でした。ああ、こういうのもありだよね、という、でも自分はまだそこまでは行かないよ、という、ふたつの意味での。

今朝、やっと、水面から顔を出せた気がしました。ぷかぷかと、水の中では聴くことのできない、空気と水が触れあう音が聞こえた気がしました。もう、深い水底に引き返して、誰かが捨てたものを拾いに行くような惨めな真似はやめよう、と思いました。自分の手足をちゃんと動かして、まずはこの身体を水の上に浮かび上がらせよう。つま先に空気を触れさせてあげよう。仰向けになって、しばらく空を見ていよう。雨が降ったら、肌に雨粒を感じよう。

そんな呼吸の浅い病み上がりの身体で、「よし、今週からはこれまでやれなかったことをやろう」と思いました。

しかるべき場所で、ちゃんと人に相談しよう。人間ドックで、身体の状態をチェックしよう。もっと、友達と会おう。未来のためにお金をじゃんじゃん使おう。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ。「幸せ」は名詞ではなくて、常に現在進行形でしか存在できない動詞なのだ。うん。人を信じる前に、自分を信じよう。