NIKKI

マラドーナという強烈な存在について。

2020.11.27

 

マラドーナ死去。昨日今日と、自分のスマホのニュースアプリには、これでもかこれでもかとマラドーナ関連の見出しが並んで、サッカー界の著名人たちが死を悼むコメントが画面からあふれてこぼれそうです。

サッカーを見はじめたのは小学6年生のとき。1992年。そのときすでに、マラドーナは「サッカーの神様」と呼ばれていました。ペレと並んで、サッカー界のアイコンとして、普通の人間とはレベルひとつ違う(いや何段階も違う)、そんな階層で生きている存在でした。存在自体が、もうすでにちょっとフィクションだった。

だから、訃報に接しても、変な話、生きていてもそうじゃなくなっても、距離感が変わらない。そう、亡くなったのか、という。なんというか、「徳川家康が亡くなった」みたいな平坦なテンションです。まるで歴史上の人物の死のような。

マラドーナという存在は、影がものすごく濃い。リアルタイムで最初に見たマラドーナが、94年のW杯。ネイビーのセカンドユニでゴールを決めてカメラに向かって吠えるシーンが印象的です。その大会中、彼はドーピング違反で大会から追放されました。以降、コカイン、エアガン乱射、激太り、奇怪な行動、記事になるのはそんな話題ばかり。それでもアルゼンチン代表監督を務め、クラブチームも複数指揮して、でもたいした結果は出せずに、80年代の全盛期に浴びた、あまりにも強い光の影を、ずっと引きずっていたように見えました。注目の強さでいえば、きっとメッシ以上。うんと賞賛され、そしてうんと叩かれた。削られた。

60歳は早すぎるけれど、マラドーナなら、なんだか納得、という感じもします。とにかくすごい存在。その重さを、強烈さを、並の肉体では支えられないに違いない。

サッカーが好きな人間のひとりとして、マラドーナにありがとう。安らかに。いろんなものから解放されて、天国で心から楽しく、ボールを蹴っている姿を想像してみます。