NIKKI

カラスと靴下。なんか、見える。

2020.06.28

 

世の中、いつなにが起こるかわからないものですが、だいたい何が起こるか(何が起こったか)わかる、というときもあるもので。

昨日、実家に顔を出したら、母が「片方だけなくなっちゃったのよ」と半足の靴下を手に嘆き悲しんでいました。聞けば、二階のベランダに干していた靴下が、取り込むときには一枚だけしかなくて、それは大事に履いている高価なスポーツソックスだからとても悲しい、と。

「風で飛ばされたんじゃないの?」

「ううん、しっかりピンチで留めていたからそれはない。絶対、カラスがくわえていったに違いないの。きっと食べ物と勘違いしてつまんでもってっちゃったの。憎たらしい!」

七十歳を越えたひとり暮らしの女性宅で、わざわざ片方だけ靴下を盗むような泥棒もさすがにいないだろうし、まあ、そうかもね。でもカラスにしたって食べ物じゃないってわかればその辺に捨てていくだろうし、庭に落ちてるんじゃないの?

「庭にはなかった」

「じゃあもうあきらめなよ」

「うえーん、悲しい」

そんなやりとりをしながら、(いやでも、たぶんベランダにあるな、これ)と、かなり確信に近い感覚で思いました。実家には、毎週一回、子どもを連れていって半日ほど過ごします。ここで昔暮らしていたときの感じ、ベランダの光景、外に干した洗濯物の匂い、そういうものの、積み重なった記憶が、(これ、あるぞ…)という景色を脳裏に浮かび上がらせるのです。なんとなくの「勘」、だけど、妙に確証を持てる「勘」。なんか…見える。

しばらくしてから、こっそり二階に上がって、ベランダに出てみました。物干し竿にはもう何もぶらさがっていません。足元には、枯れ葉が隅で干からびているくらいで、どこにも靴下らしきものは見当たりません。庭を見下ろしても、落ちてない。

(カラスねえ…)

(そのへんにある気がするんだよなあ…)

そう思いながら、ベランダの手すりに肘をつけて、今日は予報は雨っぽかったけど曇ってるな、なんてふと視線をずらしたとき、あ、あった。ベージュの靴下の片方が、木の枝にひっかかっていました。やっぱり。

長い棒をとってきて、その先に引っかけて無事救出。

母のいる一階に下りて、「プレゼントがあるよ」と言って、渡しました。人が喜ぶ顔を見るのは嬉しいものです。

こんなふうに、理由も根拠も何もないけれど、(なんか見えるぞ…)ということがときどきあります。でもそれは決まって、どうでもいいことのとき。自分の欲が絡むと、この感覚は使えなくなって、見えそうなものも途端に見えなくなるものです。

今日は宝塚記念。競馬歴20年以上なのに、何も見えない。