2020.07.02
事務所の作業机(棚)のいちばん上の隅に、「Photograph.」と走り書きされたIKEAの安いクラフトの書類箱があります。けっこう重たいそれを、ずずず、と両手で引き抜いて、ソファまでよっこらせと運んで、ふたを開ける。
昔の写真を引っ張り出すときというのは、たいてい弱っていて、現実に向き合いたくないとき。現・実・逃・避。(中黒に意味はない、ただの強調。)
箱の中には、デジタル一眼レフカメラを手にする前の(データで写真を管理する前の)、昔のフィルム写真が束になって入っています。学生時代にAPSフィルムで撮った写真、社会人になりたてのとき自棄っぱちな気分で思いきってコンタックスを買い、それで撮った写真。父が亡くなり、東京を離れ、でも故郷になじみきれず、ただ慰みのように撮っていた写真。
写真が好きです。写真に憧れるのは、過去がそのまま、今にあるから。そこにはもう会えない人もいるし、会いたくない人もいるし、すでに興味のない人もいる。でも、そのとき一緒にいたこと、そのときレンズを向けたいと感じた瞬間の気持ちだけは、確かなことで。
過去を甦らせてくれるという点で、写真は音楽に似ているけれど、音楽と違って、写真は真実を残します。解釈の余地もないような、真実を。デジタルじゃないからこその、たったひとつしかない、修正できない真実を。さらに、写真には残せない思い出もある、という真実までも。
さて、原稿書かなきゃ。こういうときほど、案外、いいものが書けるかもしれない。
♪いくつかの物語に服を着せて やさしくなれれば それだけでいい
写真を片づけながら、「野いちごがゆれるように」を頭の中で再生。弱ってる。笑
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