NIKKI

きっと誰も聞きたくない、真夜中の夢。

2020.07.12

 

真夜中に夢を見ました。ほんの、ついさっき。

他人の夢の話というのは、語る側にどれだけ意味があったとしても、聞かされる方にとってはほぼ間違いなく退屈でつまらないものです。その人だけの超個人的な内輪ネタの断片なんて、面白くもなんともない。

でも、そういうものを文字で書き残してこそのNIKKI。日記。

どこか遠い国でした。

たくさんの旅人が、その旅の最後に集う場所。東南アジアの匂いのする蒸し暑いところです。偶然誰かに割り振られて一緒に短い旅をしてきた数え切れないほどの数の男女が、各々のひとつの旅の終わりの地として、到達点として、そこに集まっています。

僕もまた旅人のひとりでした。ともに苦難を乗り越えてきたのは、実在の人。現実の世界で、もう会わないと決めた人でした。

たどり着いたその土地には、美味しい食事があり、あたたかな温泉も湧いています。ふたりで旅の疲れを癒やし、互いをねぎらうために、ペアになった僕と彼女は、ピザをとることにしました。以前、一緒に食べるはずだったのに食べられなかった、デリバリーのピザを。僕の手にはよく新聞に折り込まれるような紙のメニューがあり、隣で彼女がそれを覗きこんでいます。

ところが、突然、次の旅先行きのバスが僕らの目の前にやってきました。案内係が声を張り上げます。夢の中で、彼女の旅の続きと、僕の旅の続きは、行き先が違うのでした。そのバスに乗るのは彼女ひとりです。彼女は彼女の人生のために、そのバスに乗らないといけないのです。

気づいたときにはもう発車寸前。彼女が急いでバスに乗り込みました。これまでずっと肩を寄せ合って一緒に旅をしてきた彼女が、バスの透明な窓ガラスの向こう側に(コロナ感染対策でお店のレジに設置された透明のシート越しみたいな、表情が少しゆがむような感じで)、物理的に離れてしまいました。席に座って振り返る彼女と、それを見送る僕。え、もう会えないの?これでお別れ?と言葉にする間もなく、「ともに旅する者はいつか別れる」の真理がふたりの胸を同時に満たします。そして僕が受け入れる前に、すでに僕を置いてバスに乗った彼女はそれを受け入れているのです。そのことが、ひどく悲しい。

バスが出ます。僕には言いたいことがたくさんある。でも喉につかえて口から出てきません。伝えたいのに伝えられない。もどかしい。かろうじて、あとほんの数秒だけ、言葉が届き、表情を見ていられる時間が残されていました。ガラスの向こうの彼女は、現実の世界で、本当に、もう会わないと決めた人でした。だから、今は「ありがとう」のひと言こそが、最後の場面に相応しいと夢の中の僕は自分の頭の中でわかっていました。伝えたいことはたくさんあっても、それしか言えない。わかっている。

でも、僕の口からついて出たのは、そうではなかった。「また、会おうね!」。彼女は少し驚いてから、笑顔になって、「また!」と大きな声で手を振ってくれました。

そこで、目が覚めました。

部屋は真っ暗で、半分開けた窓から入ってくる夜風が身体を冷やしていました。布団をかけずに寝ていたので、寒い。涙は一滴も出ていないのに、胸のあたりから上が、ずっと泣き続けたあとのような感覚でした。

現実の世界でもう会わないと決めた人。別れた人。その人と旅をして、そして今度は夢の中でまた別れるだなんて。「また会おうね!」「また!」の最後の場面が、頭から離れません。

少しぼうっと天井を見上げてから、ああ、心のいちばん深いところで、ようやく本音を口にできたんだな、と感じました。会えば傷つくだけだから、会わないと決めた。会えば迷惑をかけるだけだから、会わないと決めた。もう死んだと思うしかないと思った。でもやっぱり、会いたい。すごく会いたい。それは山奥の湧き水みたいに、透明な、純粋な、本当に透き通った気持ちでした。赤ん坊が泣きながら懸命に親を求めるような切実さで、会いたいよーーー!と思いました。会いたい人にまた会えたらと願うことは、祈ることは、一生が一度しかないこの人間の世界で、どんな事情があろうと、絶対に罪ではないはずだ。そう思いました。

枕元のスマホの画面に触れると、午前2時42分でした。そんな、ひとりさびしくエモい真夜中。

いつかは見たことを忘れる夢の話。いつかは消えてなくなるこの人生。夢はすべて、その夜のためだけのもの。それが夢の正しい処理の仕方なのだろうけど、抗いたい気持ちになりました。こんな夢を見て、こんな気持になった、ということを忘れないために、そして会いたい人にいつか気づいてもらうために、枕元のあかりをつけ、ど近眼の眼鏡をかけて、Macbookを起動しました。7月12日、未明。やっぱり最近、少し変。