NIKKI

紙は湯水のごとく。

2019.07.25

 

ここんとこ真夏日が続いて、ようやく本物の夏がきた、という感じがしています。暑苦しいのは好きではないし、涼しいに越したことはないのだけれど、夏が夏らしくないというのはなんだかすっきりしないものです。うわー夏だなあ。と、そう思うためだけに、真夏日が欲しくなる。車のハンドルを握っているだけで肌がひりひりしてくるあの感じが。

で、今週はそんな夏らしい夏を感じつつ、いつものスタバやタリーズや事務所の強烈なエアコンの冷風の下で、静かに短い小説を書いています(屋外と室内のこの極端な寒暖差もまた夏らしい夏の感覚)。小説を書くのは『ラストメッセージ』の脱稿以来なので、二ヶ月半ぶり。困ったことにこのブランクの間に「書く」ことの感覚が逃げてしまったのか、ちっとも上手に言葉がつながらない。書いては直し、書いては直しを繰り返していたらあっという間に紙がなくなったので、早速アスクルにポチッと注文しました。

今世紀のはじめの頃まではまだ「手書き派/ワープロ派」みたいな区分けがあったようですが、今の「作家さん」的な人たちの原稿は、ほとんどがパソコンによるものです。紙はもはや書くための「原稿用紙」ではなく、プリンタで印字するための「プリント用紙」。それどころか、執筆に際してプリントアウトは必要か?という時代。そのへんの紙の必要性は書き手によって違うと思いますが、僕の場合、エッセイの原稿はディスプレイの上で完結させられるものの、小説は必ず紙に出力しないと直しや校正ができない、というタイプです。まずもって技術が未熟なので、書いては出力し読んで直し、書いては出力し読んで直し、ひたすら修正を繰り返してようやく「原稿」が「作品」らしきものになっていく。行き詰まっては出力。一日の終わりに出力。出力している間にまた書き足して、出力。だから小説を書き始めると湯水のごとく紙を使うのです。

会社員であれば、絶対、総務あたりから苦情が来るでしょう。経費を無駄にするな、資源を無駄にするな、そんなに紙を使いたいなら裏紙を使え、と怒られるかもしれない。でも会社員じゃないし、それを無駄だと感じたことは一度もありません。水道の蛇口をおもいきりひねるがごとく、コマンド+Pで出力しまくります。裏紙なんて到底使う気になれないのは、ものづくりをしている人ならきっとわかってくれるはずです。泳ぐなら、広い海で泳ぎたい。水がもったいない、なんて誰も言わない場所で。変な例えだけど、そんな感じ。

さて、アスクルから紙がどっさり届きました。A4上質紙500枚×10冊。5,000枚の紙はとても重い。玄関からプリンタの近くの所定の位置にずずずと引きずりながら、いつも思います。書くことを生き甲斐とするなら、せめて、この重さに比して納得できるものを書きたいと。