NIKKI

万年筆を手にとって。

2019.10.23

 

1ヶ月も日記が滞ったのは、大病したわけでも死んだわけでもなく、ただ「そのうち書こう」と思っているうちに、それが「そろそろ書かなくちゃ」になり、あっという間に時間が経つという、いつもの怠惰。というかずっと別の書きものをしていたので、それが落ち着くまではどうしてもこう、ちゃらちゃらっと何か小さなものを書き流す、みたいなことができなくて。

こちらはほぼ1ヶ月ぶりの日記だけれど、実は今日は10年ぶりにあるものを手にとった。万年筆。パーカーのソネット、といえば、文具好きの人にはお馴染み(らしい)の定番品。この万年筆、どういう理由だったかは忘れたけれど2009年、ちょうど10年前に、母からプレゼントされた一本で、おそらく誕生日にくれたのではなかったかと曖昧に記憶しているのだけれど、とにかく大切にしまっておいた。それをほぼ10年ぶりで手にとった。(大切にしまっておいた、と言えば聞こえがいいが、ようは引き出しにしまってずっと放置していた。)

大切な手紙を書くのに、いつも使っているゲルインキボールペンではどうも調子が悪く、そうだ、万年筆持ってるじゃん、と思い出して引き出しをがさごそと探り、その箱を見つけた。説明書も一緒に箱に入っていたので、ぬるま湯で少し手入れをして、カートリッジを取り替え、試し書きをすると、ペン先からすらすらっといい感じにインクが出てきた。

コピー用紙に下書きをして、それから便箋の上にすべらせて驚いた。万年筆は、紙の違いが指先にはっきりと伝わってくる。コピー用紙の硬く滑りやすい感じと、便箋の短く手入れされた草の上を歩くようなざらざら感のあまりの違いに、おおっと前のめりになる。なんて繊細なんだ。表現力もまたゲルインキボールペンとは全然違う。線の細い太い、インクの濃い薄い、筆圧の強い弱い、そういった表現の幅がとても広い。掠れ感、液溜まり感も自在。そしてなぜか「汚い字」が「味のある汚い字」に見えるという不思議。万年筆、いい。すごくいい。これからは万年筆で手紙を書こう。年賀状も書こう。

調子に乗ってクレジットカードのサインの練習までして、そして思い出した。そうだ、物書きになったらこれを使おうと思って、長いこと引き出しにしまっておいたのだ。そんなことすら忘れていたとは…。指の先で万年筆を転がしながら(不器用で回すことができない 笑)、そろそろこれを使え、という、何かの思し召しのようなものではないかとふと感じた。物書きになった、と言っていいのかどうかは、いまだにわからない。でも、ラジオドラマは150本近く書いてきた。戯曲も何本か書いた。売れない小説はずっと書き続けて、ようやく本が一冊出た。

物書きになれば、大事な手紙を何度も書く機会があるだろう。というか、今がそのはじまりのときかもしれない。よし、この万年筆を使うぞ。決意をかためるようにそれを握る38歳の秋の夜。ちなみに小説や脚本を書くときはMacです。iMacかMacbook Air。