NIKKI

愛と哀しみのほうじ茶。

2020.01.14

 

正月休みが終わり、成人の日の三連休が明けて、いよいよ普通の仕事の日々、が戻ってきた。戻ってこなくても別に構わないのだけれど、勝手に戻ってきた。朝、娘を保育園に送ってから、事務所に寄り、仕事を抱えていつものようにスタバに向かった。新しいラジオドラマのサンプル版を一本書かなくてはならない。考えながら集中して下書きをするときは、ほとんどスタバだ。

去年もここで書いたように、僕はスタバでは「ほうじ茶のストレートのトール」しか注文しない。コーヒーがあまり好きじゃないのもあるけれど、だいたいにおいて僕の飲食店での選択は超保守派。安心して頼めるものしか頼まない。知らないものを注文して美味しくなかったらいやだし、細かな頼み方がよくわからなくて注文にまごつき恥ずかしい思いをするのも嫌だ(そういう理由でSUBWAYにはほとんど行けない)。外食に関してはいたってコンサバティブな性格なのだ。で、今朝もいつものように「ほうじ茶のストレートをトールでお願いします」と注文した。ところが。

「すみません、ほうじ茶が今、品切れなんです」と店員さん。ええっ。耳を疑った。ほうじ茶が? 品切れ? これまでほうじ茶を頼んで品切れだったことなんてなかった。スタバでほうじ茶を注文する者など、利用客の中でごくごく少数派のはずだ。ほうじ茶のティーバッグの補充が間に合わないなんて、想像したことすらなかった。

仕方ないので別のものを、と改めてカウンターのメニューをよく見て驚愕した。メニューのいちばん目立つところに、「HOJICHA ほうじ茶」の文字が大書されているじゃないか。しかもご丁寧に、茶葉や急須の上品なイメージ写真付きで「ほうじ茶クリームフラペチーノ」「ほうじ茶クリームラテ」なるドリンクがフィーチャーされている。「Hojicha Cream Frappuccino Blended Cream」なんて英文付きで。ショックだった。なんなんだ君は。いったい誰の許しを得てそんなところに躍り出ているのかね。そう、ほうじ茶を問い詰めたい気持ちになった。

僕だけのほうじ茶だと思っていた。コーヒーショップの中で申し訳程度に用意されただけのマイノリティな存在、という不憫な境遇を哀れに思い、ずっと目をかけていたというのに。華がなければ派手さもなく、インスタ映えもせず、カフェインも少ない、控えめでいたいけなそのか弱い存在を胸の内にそっと抱きしめ、「僕だけは君を大切に思っているよ」と愛情のようなものすら感じていたのに。なのに。なのに。知らないうちにいきなりスターダムにのしあがっているなんて。寂しかった。置いてけぼりの気分だった。インディーズバンドがメジャーになるときの場末のライブハウス時代からのファン、ってきっとこういう心境なんだな、と思った。

「明日には入ってきますので」と店員さんは笑顔で言った。でも、明日のほうじ茶は、かつて愛したほうじ茶と同じだろうか。もう以前のほうじ茶ではいられないのではないか。そればかりが気がかりで、今日は愛と哀しみの果てに、アールグレーを飲んだ。仕事はちゃんとしました。