2019.06.21
本の発売から一週間。ようやく落ち着いたというか、少し平常心に戻ってきたというか。親戚やお世話になった方への献本もあらかた済ませて、お昼にラーメンを食べてから、川沿いを散歩。昭和大橋から柳都大橋まで、信濃川の右岸と左岸をぐるり。途中で汗ばんできて、確かな夏を感じる6月下旬。
ああ、やっぱり献本したかったな。と思うのは、吉田先生のこと。去年の11月の半ば、何気なく開いたYahoo!のトップニュースで、先生の訃報に接しました。
前も書いたけれど、吉田先生は大学時代の先生です。21世紀の幕が開けた頃、3年次のゼミでお世話になりました。僕は二十歳でした。当時、先生は確か伊能忠敬の映画の脚本を書かれていたと記憶しています。いつも穏やかでマイペースな語り口。ひとりずつ丁寧に、作品の批評をしてくださいました。
その年度の最後あたりの授業で先生に言われたことを、今もはっきり覚えています。「きみには読ませる力があるから、これからは自分の世界を深めていきなさい。」うれしかった。それから、そう、4年次の卒業制作の講評のとき。他の先生から「きみ、ピンク映画を書く気はない?」と言われ、ええっ、いや…と返答に窮したとき、「いや、彼はそういう世界じゃないよ」と横で異を唱えてくれたのも吉田先生でした。
いつか自信を持って、先生に言われたところの「自分の世界」というものを書けるようになったら、また作品を読んで欲しいな、批評してほしいな、そしてできたら褒めて欲しいな、と胸の片隅でずっと思っていましたが、気づけば卒業からもう16年。遅きに失するとはこのことです。
「先生、実は僕、ラジオドラマの脚本の仕事してて、もう120本以上書いたんですよ」そのくらいのことは伝えておきたかった。先生の言葉が自信になって、なんとか書くことを続けられたんです。「これ、出したんですよ」今、そう言って本を渡せたら、なおよかったのに。
先生の訃報のほんの少し前には、親戚の不幸もあったりして、「まにあうこと」について感じること、焦らされることが多いです。誰にも等しく未来の時間があるわけじゃない。なにかを成し遂げても、まにあわなければしょうがない。ちゃんとまにあうように、少し、かけ足にならなければ。そう思って、ひと冬かけて、この『ラストメッセージ』の本を書きました。
でも案外、17年前の学生なので、先生は僕のことをすでに忘れているような気もしますが…。
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