NIKKI

正月から血みどろ。

2020.01.07

 

今月のissueのエッセイにも書いたけれど、年末年始は向田邦子の短篇を読んで過ごした。昭和55年生まれの僕にとって、昭和50年代は、親しいんだか疎遠なんだかわからない、確かに半分はリアルタイムで生きているのに生きた手触りの乏しい、記憶のすれ違い、みたいな時代だ。向田邦子が書くその時代の物語を読んでいると、幼い頃の写真アルバムを眺めながら、家族ひとりひとりの「家庭人」ではない「裏側の人生」を垣間見るみたいな感じがする。活字の隙間から微かに立ち上る湿った畳の匂いが、日本的で家庭的で少し退屈な年末年始の雰囲気にぴったりだった。

で、そのまま「昭和50年代」の勢いを駆って、正月の三が日を過ぎてから、今度は市川崑×石坂浩二の横溝正史シリーズをAmazonプライムで全部観た。「犬神家の一族」「悪魔の手鞠唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」、最後におまけで「犬神家の一族」のリメイク版。通して観ると、このシリーズには「男の欲望 × 血縁+家父長制=業を抱えて生きる不遇の女たち」という一貫した公式があって、それが昭和20年代の「戦後直後」の舞台設定にぴたりとハマっているのがよくわかる。富豪のお屋敷、山間の村、島の暮らし…その閉塞性と土着性も、金田一耕助というストレンジャーの活躍をより締まりのあるものにしている。その上、おどろおどろしい血みどろの描写や派手な殺人シーンがこれでもかとたたみかけてくるので、一本観るとかなりお腹いっぱいになる。(とはいえ本当に面白いなあと思ったのは最初の二本。)

ホラーやミステリーは怖いからあまり観たくないジャンルなのだけれど、演出的に過剰にデフォルメされたバイオレンスは意外と平気で観れる。なんでだろう、と少し考えて、この市川崑の金田一耕助シリーズにしろ深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズにしろ、そのおどろおどろしい「やり過ぎ感」「非日常感」が日本のバイオレンスにおけるエンターテイメントのベーシックなのだと思った。北野武のヤクザ映画もまたしかり。どうせ殺すなら、思いっきり派手に、目を覆うようなやり方で殺しちゃおうよ、という作る側の楽しみ。これがけっこうくせになる。リアリティを追求したバイオレンスだったら途中で観るのをやめてしまうけれど、非日常が過ぎるから観れる。正月から血みどろだった。