2023.09.11
9.11。「911」という数字が大きな意味を持って、22年経って、また9.11。22年前って、こんなに暑かったっけか?
2001年のその日そのときのことはけっこう鮮明に覚えていて、大学3年生、中野のひとり暮らしのアパートの部屋で、夜、ちょうどテレビを見ていたのでした。TBSだったかな。突然画面が切り替わって、誰もが思ったのと同じように「うわ、まるで映画みたい」とまず画面に釘付けになり、そしてチャンネルを切り替え続けているうち(どこもCNNとかアメリカの放送局の映像を流していたような)、2機目の突入をリアルタイムで映像で目撃しました。それからはパソコンを起動して、いろんなニュースサイトを立ち上げ、2chをリロードしまくり、夜遅くまでずっと起きていた、そんな記憶です。アディダスじゃない三本線の安物ジャージを着ていたことまで覚えています。
ベルリンの壁が崩壊した1989年、小学3年生のときに母親から「このことを覚えておきなさい、歴史の教科書に必ず出てくるから」と言われたのをそのとき思い出し、「これはきっとそれと同じものだ」と自分自身に言い聞かせ、いつか大人になった自分が、これを目撃したことにきっと何か意味を見出すのだろう、なんてことも考えたのでした。
で、20年以上経って、それが何だったのか、というのは、でもまだよくわからない。いろんなものを読んでも、なんだかしっくりこない。
「出来事」は歴史の一部になることで、何かになると同時に、何かでなくなってしまう、というのを、むしろ今、学んでいるような気がします。歴史上の出来事はどれも、「あのとき、『今』だった」。その視点を見落としてしまってはいけないんだろうな、と思うのです。想像力でしか担保できない「歴史」というものに対して、今を生きる人間は常に謙虚な姿勢であらねばならない、と思うのです。
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