2020.09.06
地球の反対側にいるスーパースターの心配をする、というのもよく考えてみればおかしなものだけれど、メッシの去就問題(退団問題)がとりあえず落ち着いて、ほっとひと安心。
プロスポーツ界の移籍のゴタゴタとか、それにまつわるスキャンダル、お金に絡むどろどろした噂話って、嫌いじゃない、というかむしろ好きなんだけれど、メッシには、ずっとそういうのと無縁でいて欲しい、という気持ちがあります。
バルサで育って、バルサで世界のサッカーを変えて、バルサで世界一になって、それからもずっとバルサの象徴で、そしてそのまま、バルサの美しい思い出とともに引退して欲しい(さすがに引退までは無理でも、シャビやイニエスタと同じように美しいものを共有してバルサから離れて欲しい)、と(たぶん多くの人が)思ってしまうのは、なんでだろう。メッシを見るとき、いつも理想主義者になってしまうのは、なんでだろう。
やっぱりメッシはピュアに見える。そのままのメッシでいてほしい。これが一番のような気がします。サッカーをプレーして、サッカーで勝つことのためにピッチの上にいる。その純度の高さは、高潔さは、他に比較する選手が見つからないくらいのもので、だからどうかメッシだけには、彼の心底愛するサッカーからきちんと愛されて欲しいと願ってしまうのかもしれません。
もしメッシの移籍のために(必要となるらしい)800億円を誰かが支払ったとして、そうするとこれからのメッシは、これまでの純粋な「メッシ」ではなくて、「800億円の価値と比較されるメッシ」になってしまう。あるいはバルセロナと裁判をすると、「故郷を失い傷ついたメッシ」になってしまう。そんな目で、これからメッシを見たくない。必ずやってくる加齢と肉体の変化によるプレーの衰えを、そういうものといっしょくたにして見たくない。
サッカーの世界で、メッシほど、修飾が不必要な存在はないのです。いつまでもサッカーという世界の中での、アンタッチャブルであると同時に純白なものであって欲しいという、わがままな期待。メッシを汚すな。そう、思ってしまうのですね。
来年、移籍金なしという素敵なかたちで、メッシの行きたいところに行って欲しいです。プレミアのメッシも見たいし、ネイマール+ムバッペとの3トップもちょっと見てみたい。チームメイトとサッカーを純粋に楽しむメッシが、とにかく見たいです。すんごいゴラッソを決めて、何でもないことのように爽やかに笑うメッシが。
© 2019. 藤田雅史 – MASASHI FUJITA All Rights Reserved.