NIKKI

夏の読書。

2019.08.18

 

この一週間、堀江敏幸の小説ばかり読んでいる。きっかけは新潮8月号別冊『平成の名小説』に収められている短編「スタンス・ドット」を再読したことで、同作が収録された『雪沼とその周辺』を先日改めて文庫で買った。(改めて、というのは単行本が発売されたばかりの頃にすでに手にしているのだけれど、それがどこにあるか分からなくて探すのが面倒なので買った、ということ。)単行本を手にしたのは、たしか発売されたばかりの頃だから十五年ほど前のことになる。当時は読んでもそれほどの感想を持たなかった。地味で、無風。乾いていて、彩りがない。なんというか映画に興味のない人が白黒の邦画を見せられているような気持ちになって、確か途中で本を閉じた。ところが今読み返してみると印象が全然違った。「地味」なのではなく、ちゃんと地の味がした。「無風」に感じていたのは、自分が無理に走っていたせいかもしれない。立ち止まってゆっくり歩いてみれば、風は緩く穏やかに確かに吹いていた。心地よい風だった。「乾き」どころか、適度な湿り気が心地よかった。くすんだ単色にしか見えていなかった「彩り」は、階調が多い肌理の細かな微細な色彩の層に見えた。子供にとって退屈な風景が、大人にとってはかけがえのない貴重な人生の風景に見える、まさにそんな感じだった。読後感、というやつが全然違った。その後、『未見坂』『ゼラニウム』『オールドレンズの神のもとに』と短篇集を読み重ねている。『雪沼とその周辺』はどちらかというと物語としての印象が濃い作品群(それはとても自分の好み)だけれど、堀江敏幸の小説は必ずしも「物語であること」を必要としない。「ストーリー」を消費者に押しつける今の世の中の物販のトレンドやそれに付随する広告クリエイティブの手法に対する反動というのもあると思うのだけれど、その潔さが読んでいて心地いい。頭に浮かぶ人や景色や物や記憶、その実体の旨み、甘み、苦み、渋みを、汚れやベタつきのない清潔な手で描いて、伝えてくれる。作品ってのはそれでいいんだよ、無理して余計なものをくっつけないで、確かなものがあればそれでいいんだよと、教えてくれる。